組合概要 東京都味噌工業協同組合
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●沿革
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東京の味噌

●沿革

年代 できごと
1889年
(明治22)
味噌生産者の意思疎通と親睦を旨とし「東京府味噌製造業組合」設立
創立時の組合員は14名。内4名が今も残る。
1915年
(大正4)
東京で生産された味噌はパリ,ロンドン,ロサンゼルス等々世界の主要都市へ大いに輸出されていた。
1923年
(大正12)
関東大震災発生。当時、味噌は生活に欠くことのできない食品であった。組合員の大半が工場を焼失する甚大な被害を被るも、焼け出された市民の需要を受け、組合員は東奔西走し翌年にはほとんどが操業を開始する。
1929年
(昭和4)
世界恐慌勃発
1931年
(昭和6)
大恐慌対策として工業組合法が制定される。
1933年
(昭和8)
工業組合法に則り「東京味噌工業組合」設立
1936年
(昭和11)
二.二六事件がおこる。
1939年
(昭和14)
第二次世界大戦が始まり味噌が統制品となる。
1941年
(昭和16)
日本政府、英米にむけ宣戦布告
時局の激変に伴い東京味噌工業組合員と東京味噌問屋商業組合員による「東京味噌統制株式会社」が設立、組合員が生産した味噌は全てこの統制会社を通じ販売されることとなった。
1943年
(昭和18)
国家総動員法による統制会社令により「東京味噌工業組合」の解散が余儀なくされる。解散時の組合員は49名であった。
1944年
(昭和19)
生産者団体として「東京味噌工業会」を設立
戦争が激化する中、会員は月一回程度の集会を継続。味噌づくりにかける情熱を失うことなく、政府割当の限られた原材料をもってその使用方法につき研究を重ねた。
1945年
(昭和20)
第二次世界大戦 終戦
1948年
(昭和23)
現在の「東京都味噌工業協同組合」が設立される。
1950年
(昭和25)
朝鮮戦争勃発。米軍の特需による好況
1951年
(昭和26)
味噌の統制が撤廃される。組合では味噌を戦前の商品に戻すべく毎月研究会を開催し品質向上をめざす。年度末には、ほとんどの組合員がその成果をもって、安井誠一郎初代東京都知事(在任1947〜1959)により表彰された。
1953年
(昭和28)
組合は一括共同購入・運搬、良品廉価で市場への供給、資金の斡旋、市場安定への努力…など絶えず中小企業の発展につとめてきたことが評価され、都知事より「中小企業振興の功績顕著なるものあり」と表彰された。
同年、近畿地方で死者400名余を出した台風13号の被災地に味噌を急送。組合に多数の謝礼状が届いた。
1957年
(昭和32)
都内産味噌振興のため新聞・ラジオ・テレビ、パンフレットなどを駆使し宣伝を開始
1964年
(昭和39)
東海道新幹線が開通し東京オリンピックが開催される。
1969年
(昭和44)
創立80周年を記念し組合史制作
1971年
(昭和46)
水質汚濁法が施行され都内での味噌造りが困難となり、組合員の多くが工場移転をすることとなる。
1973年
(昭和48)
現「東味ビル」(組合事務所)の新築着工するもオイルショックで建材費が高騰し工事が難航。
1974年
(昭和49)
苦労の末「東味ビル」竣工
1981年
(昭和56)
都知事表彰
1983年
(昭和58)
渡辺副理事(当時)が黄綬褒章受賞 組合は都知事より表彰
1989年
(平成元)
創立100周年を記念し組合史制作
1998年
(平成10)
渡邉理事(当時)が勲五瑞宝章受賞
2003年
(平成15)
江戸甘味噌が東京都地域特産品認証食品に認定される。
2005年
(平成17)
河村守泰元理事長が秋の叙勲・褒賞において旭日双光章受賞









写真提供:青木株式会社







写真提供:株式会社ちくま味噌

河村守泰元理事長が秋の叙勲・褒賞において旭日双光章受賞
河村元理事長:
賞状と勲章を前に H17.12月

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