代表社員 八木忠一郎
「五風十雨」 (天然醸造仙台味噌)
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当社所在地(品川区東大井、昔は荏原郡大井村)は江戸時代、仙台、伊達藩の江戸下屋敷であった。伊達藩では備蓄食料確保の観点から寛永2年以来味噌蔵をもち、醸造を始めた。
江戸在勤の士卒は当時3千名を数えたといわれ、それらの人々に与えるためにも味噌は必需品であった。当時の江戸の味噌は江戸甘であり、東北武士の口に合わなかったからである。
江戸時代も下って、末期になると自給自足のためばかりではなく、余ったものを一般にも販売するようになり、半ば商売としての性格も持つようになった。江戸市民は仙台の殿様のお屋敷で出来る味噌というので、仙台味噌と呼ぶようになった。安政年間に出た江戸切絵図の『品川、白金、目黒辺之絵図』の中にも『仙台味噌屋敷』と記載されている。
明治維新になり、伊達藩では味噌蔵と質屋(当時の金融機関で銀行と質屋の中間の性格を持つものだったらしい)を経営していたが、仙台から遠藤敬止(後の七十七銀行頭取)、佐藤三之助、八木久兵衛等5名を呼び、払い下げた。遠藤、佐藤等は質屋を引き継いで宮城銀行を興し、八木は味噌蔵を引き継ぎ、明治35年7月法人組織とし合名会社を設立して今日に至っている。
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